【雑記】体調不良

仕事が忙しくなると体調を崩す人がいる。
何か新しい仕事を振られる、もしくは何か問題が発生して
予定通りに仕事が進まなくなると、仕方がなく残業をする。
それが数日、数週間と続くと、体調を崩し、朝の出社が
遅くなり、業務中に咳をし始め、不機嫌となり、
最後には仕事を休むようになり、仕舞には辞めてしまったりする。

 

何も珍しいことではなく、あらゆる職場でみられる光景であろう。
誰もがこれを当たり前のことのように考えている。
仕事が忙しくなれば体調は崩れるものだというのだ。
だがしかし、これは果たして本当なのであろうか。

 

私は一概に仕事が悪いとは言えない気がしている。
むしろ仕事は健康に良いものだとすら思っている。
人生に活力を与え、誰かの役に立ち、世の中が豊かになる。
仕事を通じて人間として成長ができる。誰もが自分の個性や能力を
活かして、誰かのために働き、必要とされ、感謝される。
仕事とはそういうものだと思う。

 

悪いのは仕事それ自体ではなく、その働き方のほうにあるのだろう。
ヒルティさん著の幸福論第一部の最初の章は
「仕事の上手な仕方」となっていることからも、働き方の重要性が
うかがわれる。

 

この「仕事の上手な仕方」の冒頭で、休息について触れている。
少しだけ休息について書かれている箇所を抜粋させていただく。

 

「ひとの求める休息は、まず第一に、肉体と精神とをまったく
働かせず、あるいはなるべく怠けることによって得られるのではなく、
むしろ反対に、心身の適度な、秩序ある活動によってのみ得られる
ものである」

 

「本当の休息はただ活動のさなかにのみあるのである」

 

これは誰しも、自分の休日の過ごし方を考えてもらえば理解できると
思う。何もせず、ただずっと布団の中で夢見心地のまま
一日を過ごしてみたならば、何もしていないにも関わらず
淀んだ倦怠感のようなものを覚えることだろう。
これが逆に、自分の興味のあることや、趣味や習い事を
しているときというのは、いくらやっても体中に活力がみなぎっており、
疲れすら充足感となる。要はそれを仕事でも感じられるようになれば
良いわけである。

 

ここで問題となるものは、いかにして仕事に興味を持つかである。
たとえば好きなことを仕事にしようと考えたとする。これも解決策の
一つではあるだろうが、いくつか欠点があるように思う。

 

まず、その好きなことに世間の需要がまるでなかったとしたら。
貧窮した生活の中、世間の理解を得られるまで耐え忍んで
その好きなことを続けていくことができるのか。それで成功した
人間もいるのかもしれないが、限りなく少ないことだろうと思うし、
自分のことしか考えておらず、ただ好きなことがやっていたいという
人間は成功などできるはずもない。それに、たとえ成功できたとしても、
その好きだと思っていたことが、何かがきっかけで好きでは
なくなってしまったら、その時はどうするのか。
仕事の動機を好きなことのみにしてしまったとしたら、
好きではなくなった仕事を続けることは苦行でしかないし、もしもそれに
耐えることができず辞めてしまったとしたら、その人の仕事を必要と
していた人たちを裏切ることになる。

 

私は逆方向から考える。それは自分の好きなことを仕事にするのではなく、
仕事を好きになるべきであると。それは自分の目の前にあるやるべきことを
目を背けることなく全力で向き合うことである。どのような仕事であれ、
正面から真面目に取り組めば、必ず楽しみを見出すことができると
私は思っている。

 

仕事に楽しみを見出すことができない人は、きっと働き方がうまくない
のであろう。上司から仕事を振られれば悪意でもって受け取り、
作業の遅い同僚に怒りを覚え、終わりの見えない仕事の山に落胆の
溜息をついてしまう。これが職場のみでなく私生活にまで及び、
心が休まる時がなく、疲れが蓄積され、いつしか仕事自体が悪いのだと
錯覚し、この仕事から解放されるために、自ら体調を崩したり、
仕事に出てこれなくなってしまったりする。まったく不幸である。

 

大事なことは、仕事を善意でもって受け取ることである。
上司は部下をいじめるために仕事を与えているのではなく、みなで
協力して良い仕事を成し遂げたいのである。作業の遅い部下は自分の
最善を尽くして作業をしているし、まだ要領を掴めていないだけである。
終わりの見えない仕事は、一つ一つ分解して考えれば、やるべきことが
見えてくる。そして従事している仕事が本当の仕事であるならば、
仕事の成果は誰かひとりが享受するものとはならず、それに携わった
すべての人々に幸福をもたらす。

 

このような心構えはそう簡単にできるものではない。なぜなら人は
何もしなければ自然と機嫌が悪くなってしまうものだから。そのため、
良い働き方を習得するには鍛錬が必要となる。それはその仕事を
する上での技術を会得することも去ることながら、それ以上に、
礼儀作法をわきまえることが肝心である。これによって人は、
仕事を通じて社会人として、人間として成長を遂げるのだ。

 

人混みやメディアを見ていると、どうにも仕事が悪いもののような
風潮が広まっている。「働いたら負け」だとか
「仕事が嫌になったら辞めれば良い」などの薄っぺらい言葉が聞こえて
くるたびに、我儘で聞き分けのない子どもっぽさをそこから感じ取って
しまう。

 

豊かになった現代では、今までにない様々な仕事が存在しているし、
多くの人が働かなくても生活が可能となってきたわけではあるが、
それでも仕事自体の本質は変わらないと思っている。
このまま仕事を嫌い、仕事から離れていく人が増加していったならば、
果たしてその社会は幸福と言えるものなのだろうか。
この豊かな時代に適合する仕事の在り方について、改めて考える必要が
あるのかもしれない。