【雑記】幸福について

幸福とはなんとも掴みどころがないもののように思える。
時代によって、もしくは文化によって、はたまた人によっても異なるのかもしれない。
それでもやはり、どの時代、どの文化、どの人にとっても幸福は欠かせないものであろう。
それならば、幸福について考えることも、決して無駄ではないはずだ。

 

まずは幸福を辞書で引いてみる。

 

幸福
「心が満ち足りていること。また、そのさま。しあわせ」(広辞苑 第七版)

 

やはり抽象的で曖昧である。
ただ、どうやら心の状態、ならびにその心の状態に伴う体の状態であるようだ。
ではどのような時に、人はこのような心の状態となるのであろうか。
現時点では明確な答えを出すことができない。
これを明確にするためには、日常の中から、その断片を見出し、
関連付けて考える他ないように思う。

 

これから私がやろうとしていることは、日常の中から幸福という砂金を
探す作業である。
私の五感を通して日常を観察し、ただの砂粒と砂金を振り分けていく。
こうして集めた砂金を、より粒度の細かい網でもってして精査をしていけば、
残ったその何かは、より幸福に近い何かであろう
(砂金を探したこともなく、この例えがどこまで適切であるかは甚だ怪しい
ところであるが)。

 

網として使うものは、先人の知恵である。
特にその根幹を成すものは、ラッセル・アラン・ヒルティが書き残した
三大幸福論とも呼ばれている本である。
これらの本は現代よりも何十年も前に書かれたものではあるが、
人間についての深い考察と英知に富んでいる。
私がやろうとしていることを別の言い方で表現するならば、
これらの過去の英知を現代に当て嵌めてみたときに、
何が見えてくるのかを検証することである。

 

気を付けたいこととして、この幸福探しのための作業の目的であるが、
「幸福論」のような理路整然とした論文を書くことではなく、
あくまでも日常の一部分を切り取って、そこから得られた知見を
書き連ねていくことにある。そのため、内容は雑記のような形にならざるを
得ない。そのことを承知の上で、もしも読んでくださる人がいたならば、
気楽に目を通していただきたい。こちらも気楽に書いていく所存である。